僕はリクルートを「中退」しました。
今回は僕自身のお話です。
天然ボケな弟も、沖縄も出てきません。
ちょっとしたコラムです。
かねてから感じていた違和感の正体が、自分の退職がきっかけでわかりました。
よろしければどうぞ。
ーーーー
今更になってはしまいましたが、ご報告です。
女子大生の華やかな袴姿がFacebookを占拠する春3月に、
僕はリクルートを「中退」しました。
リクルート卒業じゃなくて「リクルート中退」
退職を「卒業」と表現することは、かなり一般的になってる気がします。
退職して次のステップにいく仲間を気持ち良く送り出そう!と、
組織全体で、明るく、盛大に退職者を送り出す素晴らしい文化です。
ここでいきなり私事ですが、僕はリクルートを、一身上の都合により2016年3月31日に「中退」しました。
この「中退」という言葉には、ネガティブな意味も、もちろんポジティブな意味もなく、
ただただ事実を形容したつもりです。
僕はリクルートグループの、株式会社リクルートコミュニケーションズという、主に広告制作を行う会社にいました。
(いや、事業内容に関してはもっと本当は複雑なんですが、詳細はサイト見て。)
そこで僕は制作のディレクターをやってました。
在籍期間はちょうど1年間。うるう年だったので366日。
退職を公表してから、たくさんの方に送別会を開いていただきまして、本当に感謝感謝でした。
皆さん本当はすげー忙しいんですが、そんな中でも合間を縫って、時間を作って色々な方が飲みに連れて行ってくれました。
正直胃腸は荒れ、3キロ太り、肌もボロボロだったのですが、そんなのどうでもいいくらい嬉しかったです。
二日酔いが続きすぎて、逆に「え?僕、羽生えた?」ってぐらい身体の調子がよく感じる。という貴重な体験もさせていただきました。
ただ、その中で「卒業しても頑張ってね」的な言葉を頂くことが多かったのですが、
いつも「いや、"卒業"はちょっと勘弁してください。。。」という感じでした。
自分には違和感が凄かったんです。
僕はリクルートを辞めたわけですが、入社してから1年間で、リクルート史上最速のスピードで社内賞を総ナメし、大手クライアントから億受注は当たり前。
社内では大規模なプロジェクトをいくつも推進し、同僚の女性全員から求婚を受け、、、
、、ていたわけではなかったんですね。
普通にペーペーやったし、やる気はあるけど技術がないので、周りに迷惑かけてばかりでした。
そもそも制作の仕事は技術職に近いので、未経験者の立ち上がりが遅いと言われています。なのに何でもかんでもやりたがるし、そのくせにミスするし、と結構ダメダメだったわけですよ。
ほんでそんなやつが、やっと少しだけ仕事覚えたころに退職です。
それなのに「卒業」とか言われちゃっていいのかな。という気持ちになっておりました。
ここで僕が京都で「先生」と崇め奉っている方(もともと某人材会社の制作マン、現 焼酎BARマスター)のこのツイートを見てみましょう。
SNSみてて思うんだけれど、企業を退職したのを「卒業」って表現するのって、ちょっと違和感。卒業って「修了」、つまりやるべきことをすべてやった状態であるはずで、それを本人が勝手に「卒業しました!」みたいなのって「ホントに企業が求めているものにちゃんと応えたの?」と思っちゃう。
— 猿基地みつしろ (@sarukichi813) 2016年3月17日
そう。これなんです。僕の違和感の正体は。
「入学」はしたけど「卒業」はしてない。という感じですね。
僕全然「リクルートの事全部知った!もうなんでも知っとるわ!」みたいな感じじゃないんです。
「辞める」という決断をする前にいろんな方に相談させていただいたのですが、
「まだ学べる事がたくさんある。」というお話を何度ももらいました。
「その通り!」と思います。納得した上での決断ですし、自分なりの事情もあるのですが、それでもかなり早く決断したなあという感覚があります。
退職のお話をした時にも、当時のマネージャーから「リクルート卒と名乗るなよ」と釘を刺されました。
この会社で学べることを学び尽くしてから、やっと使える名前である。
そうでない僕がリクルート卒と名乗ると、今まできちんと「修了」していった先人たちに失礼である。
という意味で解釈しました。その通りだと思います。
「卒業」という言葉が安易に使われているなあ、とかねてから感じており、自分の退職がきっかけでその理由がはっきりしました。
まさに僕みたいなやつが「卒業しました!」ということは、その本来の意味の破壊であり、
一種のゲシュタルト崩壊的な状態なわけです。
「あれ?ソツギョウってなんだっけ?ワタシはドコ?ココはダレ?」みたいな。
なので、「中退」。
いやあ、しっくり来ます。
もちろん少し恥ずかしいです。
僕は息巻いて入社したタイプですから。
一年で全社賞とりたい!とか言ってましたから。ええ、恥ずかしいです。
ただ、言葉としてはこちらの方が適切。
自分の中途半端さと向き合うにもちょうどいいです。
これ、ずっと書こうと思ってたら、先生に先に書かれてしまいました。
ほんでよく調べると僕の苦手な常見陽平さんも同じようなことを言ってました。
全然いいんだけど、一応自分で思いついたのに、二番三番煎じでイヤですよね。
煎じすぎてもう味ない、みたいな。
乃木坂46ってこんな気持ちだったんでしょうか。いや、あれはちょっと違うか。
教育事業始めました。
『じゃあ、なんで「中退」したの?』とか、そういう話に関しては、また今度書こうと思うのですが、
リクルート中退して何をやっているか。を簡単にお話しします。
何してるかっつーと、京都で小・中学生対象の教育事業やってます。
もともと僕は就活をしていた時から、
広告ディレクターとして働き、その中で「情報を自在に加工するスキル」を身に付け、
スーパークリエイターになり、40歳くらいで教育業界に転身する。
つもりでずっといました。
「業界」というカテゴリーでやたらめったらくくるのは好きではないのですが、わかりやすくするために言うと「理想の教育を将来やるために、広告に行く!」というような考えでした。
僕は、いわゆる「勉強が面白いと思えないだけで、頭はいい子ども」だったり、
「才能豊かだが、公教育の価値基準では評価されにくい中学生」、
「他の人以上に一生懸命やっているけど、要領が悪くうまくいかない学生」。
こんな感じの人らに対して、彼らが自分の持ち味を社会に向けてうまく発信できるようにすることで、きちんと評価される状況を作りたい。とかねてから考えており、それをよく「もったいないを無くしたい。」と表現していました。
要は「僕がイイと思うヒト、モノを、みんなにもイイネって言ってもらいたい。」ってただそれだけなんですけど。
ほんですったもんだあり、この4月から「studioあお」という教室を開校し、予定より16年早い教育事業への転身を果たしました。
小・中学生を対象とした教室で、偏差値絶対主義の塾とはちょっと違い、「子どもの成功体験をデザイン」し、それを通して生徒の個性や、社会性を育てることを目的としてます。
公教育の指導要領に基づいた学習のサポートも行いますが、「放課後ラボ」という独自の教育プログラムがどちらかというとメインです。
オープンから一ヶ月、生徒も徐々にですが、増えてきました。
毎日、教室で子どもらとワイワイやっとります。
先のことを言うと、教室が軌道に乗ったら、今度は大学生向けの事業もやりたいなあ。なんてこともゆるっと思ってます。
今回の記事は以上です。
教室やその他今やっている事業に関してもぼちぼち書いていきます。
自分のこともちょいちょい書いていこうかなと思ってます。弟の旅記録と並行して。
読んでくださって、ありがとうございました。
というか、なんかフォントも文字サイズも変になって直らんのやけど、なんなんこれ。
川村哲也